フォレストアドベンチャー総合TOP箱根の近代化に尽力した福住正兄【コラム vol.3】

2023.12.12

箱根の近代化に尽力した福住正兄【コラム vol.3】

フォレストアドベンチャー・箱根

前回のコラムで早雲寺をご紹介した際、「箱根の近代化に尽力した福住正兄」という一文を挙げました。今回はその福住正兄(まさえ)について取り上げます。

福住正兄は文政7年(1824)8月21日に相模国大住郡片岡村、現在の平塚市片岡の名主・大沢家の五男として生まれます。福住は後に婿入りした家の苗字ですが、ここでは福住で通していきます。

11歳の時、江戸四大飢饉の一つである「天保の大飢饉」を経験し、福住は貧しい人を助ける医者を志していたが、21歳の時に「人の病を治す医者になるよりも、国の病を治す医者になるべし」という父の勧めに従って、関東各地で農村復興の指導者であった二宮尊徳の門下生となります。

福住は約5年間に亘り尊徳と共に生活し、様々な教えを受けます。尊徳が福住に諭したことの一部には、「一心の覚悟」を定めて徹底する事など、生活の中で福住が学んだ尊徳の経営術である報徳仕法など様々な教えを書き留め、『二宮翁夜話』を著します。現代に伝わる二宮尊徳像はこれによるものが大きいです。

嘉永3年(1850)10月、親戚筋である福住家に養子に入ることになり12月に結婚、福住家の10代目当主となります。福住家は箱根湯本で江戸時代前期から代々温泉宿を営んできた旧家であったが、先代の時に火災に遭い家業は傾いていた事から、尊徳の教えを受けた正兄に福住家復興の期待を託されました。
正兄は業務内容の改善、「正直」と「安値」、貴賤の差別をしないといった報徳仕法の実践に努める一方、人気の浮世絵師・歌川広重に依頼して「箱根七湯方角略図」「箱根七湯図絵」や「箱根湯本福住九蔵宅図」など、福住旅館のみならず箱根自体を宣伝するための絵図を浮世絵で描いて貰って旅館の宣伝をするなどして、僅か1年で復興を成し遂げて評価を上げました。
復興の功績により、嘉永4年(1851)11月に27歳にして湯本村の名主となり、慶應元(1865)年には小田原藩から「脇差・袴着用」を許されました。

しかし時代は幕末の動乱に向かい、勃発した戊辰戦争では、旧幕府軍の一隊である遊撃隊と新政府側についた小田原藩による山崎の戦いが慶応4(1868)年5月26日に発生、湯本は戦場になりました。
この戦いは1日で勝敗を決したものの、湯本の一部が焼かれ、周辺各地で掃討戦が行われるなど、地域一帯に戦争の爪痕を残しました。

明治になって文明開化の時代を迎えると、観光地としての箱根の近代化の礎となるべき様々な事業に乗り出します。
明治3(1870)年の秋、福澤諭吉は湯治のために熱海から箱根湯本や塔之沢などに滞在し、湯本では福住旅館に宿泊しました。この時代はまだ不便な道路事情であったが、福澤はその後も度々箱根を訪れ、福住旅館に滞在する度に福住と話をすることを楽しみにしていたといいます。
報徳仕法で湯本村を復興した実践力を尊敬した福澤と、一回り年下でありながらいち早く洋学を志した福澤の学識に畏敬の念を持った福住、2人が意気投合したことが箱根の近代化実現に繋がっていきます。

明治6(1873)年3月、福澤諭吉は箱根の地域発展と近代化を進めるためには、箱根七湯(湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯)を結ぶ道路の整備が急務であると、その必要性についての提言を新聞に投稿しました。この記事をきっかけにして、箱根の人々による車道開発が活発化します。

明治8(1875)年7月に、福住が中心となって板橋(小田原市)から湯本までの東海道4キロ弱を改良する工事に着手しました。それまでは湯本村三枚橋の手前の山崎は舌状台地になっており、街道自体が今の国道1号線より山側にありました。この舌状台地を切通し、5m近くに幅を拡げ、急坂を削って緩やかにし9月には開通しました。この工事により馬車や人力車が入れる様になり、交通が円滑になりました。通行する人力車1銭・大八車7厘・小車3厘の通行料を5年間徴収したのが日本初の有料道路と呼ばれております。

現在、その道のほとんどは国道1号線になっていますが、それと並行する旧道が一部残っています。

明治12(1879)年、福住は伝統的な日本建築である数寄屋造りの内装に、外観は箱根初の西洋建築の要素を取り入れた3階建ての擬洋風建築「金泉樓」と「萬翠樓」を完成させました。ここには福澤諭吉はもちろん、徳川慶喜、西郷隆盛、木戸孝允、山内容堂、井上馨、松方正義など、幕末期から明治にかけて活躍した多くの人々が訪れ、温泉地・箱根の知名度を高めました。

明治20(1887)年7月、福住ら有志7名が、国府津~湯本間の馬車鉄道敷設の請願書を神奈川県に提出、馬車鉄道とは、レールの敷かれた線路の上を馬車が客車を引いて走る鉄道の事で、翌年10月に開通した。この路線は後に箱根登山鉄道に繋がります。

箱根の近代化に尽力した福住正兄は、明治25(1892)年5月20日に69歳でその生涯を終えました。
今日の箱根に多くの人々が訪れているその原点には、福住正兄の先見性と実践力など、多いなる貢献がありました。

文・写真とも「あらゆる歴史物語をカタチにする」軽野造船所
(フォレストアドベンチャー・箱根スタッフ)

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