2025.5.12
箱根近代交通土木遺産『旭橋』『函嶺洞門』『千歳橋』【コラム vol.16】
フォレストアドベンチャー・箱根
「すみません、今、箱根湯本駅を過ぎて橋を越えた先の函嶺洞門(かんれいどうもん)駐車場にいるんですけど・・・」
これは時折入るお客様からのフォレストアドベンチャー・箱根への場所の問い合わせのお電話です。小田原方面から自動車で来場される方は、箱根湯本駅を過ぎて直ぐに山側へ上がる道へ入るのですが、近隣に並ぶ土産物屋や観光客の方が横断しようとするのに目を取られ、通り過ぎてしまう方もいるようです。そして、箱根湯本駅から西に向かって少し行った、早川沿いにある駐車場で通り過ぎたと気付いてお問い合わせとなるようです。
箱根湯本から塔ノ沢へと進むと険しい箱根の上り坂にかかりますが、湯本側から旭橋、函嶺洞門、千歳橋が連続し、それぞれが目を惹く特徴的な構造物です。
今回は、箱根湯本の国道一号線における近代交通土木遺産であり、国の重要文化財である旭橋、函嶺洞門、千歳橋についてご紹介します。
箱根湯本から塔ノ沢における国道一号線は、鎌倉時代の箱根超えの道である湯坂道であり、明治20年に宮ノ下の富士屋ホテルが私費で建設した有料の人力車道の開通が前身です。その後、国が管理する国道になりました。
塔ノ沢地区では大正末期から昭和初期にかけて、函嶺洞門の東側、西側の両坑口付近には早川を渡るための木橋(旧旭橋、旧千歳橋)が架かっていました。しかし、年々増加する自動車交通に対応するには幅員が十分ではなかったことや、早川の増水による被害も重なっていたことから、新たな構造の架橋が求められていました。
更に湯坂山の斜面からの落石事故が数度とあり、死亡事故も発生した事から落石防止柵が設置されました。しかし、冬季に湯坂山の山腹が凍結して大石の落下があり、更に大正12(1923)年に発生した関東大震災では、発生した土石流による死者も出てしまいました。函嶺洞門の西側脇にある地蔵は、この土石流の犠牲者を弔う為に建立されたものと言われています。この様に、土砂の崩落が相次ぎ交通が極めて危険であると判断され、自動車の普及による交通量の増加も相まって、新たな道路施設の設置に迫られました。
まず建設に着手されたのが千歳橋です。昭和8年3月に竣工しました。橋の袂に立つ街灯に、「千歳橋」と「土木遺産」の標識が掲げられています。仮名の銘板の文字は「ちとせはし」と、濁りません。
鉄筋コンクリート製のリブタイドアーチという形状で、全長は25.5m、幅は9mです。鉄筋コンクリートアーチ橋は一般的にアーチの上を車が走る形式の上路式として設計される場合が多いですが、千歳橋では弓のような形でアーチを閉合し、アーチと路面を垂直材で吊っている構造です。下から見上げると横桁は意外とがっちりした造りで、アーチ終端部はクイッと上がっている美しい曲線で処理されています。
表面には花崗岩を張って仕上げているほか、歩道の親柱には和風の灯篭状の照明が設けられ、歩道の欄干には金属製のアーチ装飾と菱形と正方形を組み合わせた模様が刻まれているなど、ディテールに対する設計者のこだわりが感じられます。
両岸とも余地が少なく、真横から眺められないのが残念ですが、国道一号線から塔ノ沢駅へと向かう歩道の階段を登って高台から俯瞰して見る事ができます。

(千歳橋を高台から望む)
旭橋は千歳橋と同じ鉄筋コンクリート製リブタイドアーチ橋。全長は39.5m、完成時は鉄筋コンクリート製リブタイドアーチ橋では国内でも最大級の規模であります。更に、橋の東西両端では約1mの高低差がある、川に対して左岸側が下流寄りに10度斜めになった構造としても珍しいものであります。
アーチの終端部分からゆるやかに立ち上がるように取り付けられている照明があります。当時の物ではなく後から復元したものですが、レトロで優美なデザインが当時の雰囲気をしのばせます。

旭橋・千歳橋の両橋ともに神奈川県職員の内堀朝治氏が設計を手掛け、神奈川県小田原道路改良事務所(当時)によって造られました。
両橋が下路式タイドアーチ形式を採用しているのは、山岳地の河川では河床までの距離が少なく支間長も短いため、上路式アーチでは増水した時に川の流れを阻害してしまう可能性が高いため、幹線道路を守るべく、下路式アーチという特殊な設計が採用されたと考えられます。

(旭橋を早川下流側から望む)
旭橋は昭和42年に渋滞緩和を目的として、上流側に並行した新旭橋が架けられ、それ以降は下り線への一方通行となりました。一方、千歳橋は一本で二車線を支えており、外見からはスパンの短さや幅員の狭さを感じさせず、旭橋と遜色ない存在感を誇っています。
そして、千歳橋と旭橋の間にあるのが函嶺洞門です。関東大震災によって崩壊した断崖の直下に、鉄筋コンクリート造の落石防護施設が築かれることになりました。

(供用されていた時の函嶺洞門)
函嶺の「函」は“はこ”とも読む文字で、函嶺は箱根山の別の呼び方で、滝廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」の歌詞の冒頭で
「箱根の山は 天下の険 函谷関(かんこくかん・中国の関所で、名勝として知られる)も物ならず」
にならった呼び方です。
1月2日・3日に開催される箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)を以前より楽しみにしている人なら「山登りの5区」にある「函嶺洞門」に見覚えや聞き覚えがあるかもしれません。4区から5区にたすきリレーされる小田原中継所から3.6kmの地点で、ここは先頭を走るランナーとの時間差を測るチェックポイントに設定されているため、駅伝中継のアナウンサーが幾度と「函嶺洞門を通過・・・」というセリフが繰り返され、順位や1位とのタイム差がテレビ画面に表示されていました。
今日でこそ各地の道路で見られる落石避けのシェルターですが、この当時は自動車がある程度走っていたのが東京、大阪といった大都会周辺だけでまだ例がなく、自動車用道路の整備は一部の地域に限られた極めて珍しいものでした。
設計した小林源次氏は、雪崩から鉄道や道路を守るための「スノーシェッド(雪崩覆い)」を参考に設計したと言います。明かり取りのため、谷側は壁ではなく柱が等間隔で並べられており、当時の資料には「開腹隧道(トンネル)」という名称で紹介されています。
昭和5年11月に神奈川県小田原道路改良事務所(当時)によって着工し、小田原に本社を置く譲原組(現・譲原建設)が工事を担当しました。
工事中の同年11月26日、箱根湯本から西へ20kmほど離れた丹那盆地を震源とする北伊豆地震が発生、マグニチュード7.5相当と推測される大地震で、推定2.5トンとされる巨石の落下により、約5度ほど傾いてしまいました。1本の柱には破壊が生じましたが修復され、長さ100.9mの函嶺洞門が昭和6年に完成しました。工費は当時の金額にして約11万円。現在の約5,000万円です。
当時の設計図によるとアーチ形の開放部は15でしたが、現在の開放部を数えてみると18あります。工事途中の北伊豆地震が影響で設計が変更されたと推測されます。
そして、洞門としての機能だけでなく、開放部の上部隅が曲線になっているのは、中国の王宮の建物の柱上部のイメージとして採用されたデザインだと言われています。
旭橋、千歳橋、函嶺洞門の3つの構造物が完成したことで、湯本付近の国道一号線に安全で円滑な交通がもたらされました。箱根という日本有数の景勝地に訪れた人を迎える入口として、急傾斜の崖が崩れないようにコンクリートの構造物を造る、というだけでなく、旭橋が和風、千歳橋が洋風、函嶺洞門が中華風と細部のデザインについても工夫がなされています。
ところが、時代が進んで国道の交通量が増えると、5.8mという道幅の狭さが問題となりました。カーブした洞門内では大型バスのすれ違いが難しく、渋滞発生の原因となっていた。更に2005(平成17)年には台風によって坑口近くで土砂の崩落が発生するなど、安全面での対策も求められました。これらの事情から、函嶺洞門を迂回するバイパスが早川の左岸側に2つの小さな新しい橋とともに新設されることになり、2014年のパイパスの完成に伴い、函嶺洞門は通行止めとなりました。

(函嶺洞門バイパス)
通行止めとなった函嶺洞門の存在など気づかぬように車は通り過ぎます。函嶺洞門へ続いていた道路周辺は網のフェンスで囲まれていて、中に立ち入ることはできません。人も車も通らなくなった道路は、舗装を突き抜けて背の高い雑草が生えてきました。これにより、2015年の箱根駅伝から選手も新しいバイパスを走るようになり、走行コースが変更されたことから、歴代の「山の神」たちがマークした記録など、90回大会以前の5区、6区、往路、復路、総合記録は参考記録となりました。91回大会を前にコースの再計測が行われ、5区は200m短くなって23.2kmに。その後、93回大会から往路の4区と山登りの5区の距離が変更され、5区は2.4km短縮されて20.8kmになりました。コースが20m長くなったので、2014年以前の記録は参考記録扱いとなってしまったが、チェックポイントの場所と呼び名「函嶺洞門」はその後も引き継がれています。
函嶺洞門はかなり急峻な地形の場所に作ったため、今後も石の崩落などが起こる可能性があります。そのため、閉鎖されている間も放置していたわけではなく、函嶺洞門本体の補強工事が行われ、その上だけでなく、抗口の外、両側の法面(のりめん)にも崩落防止のネットを張るなどの措置を行ったそうです。
同時期に建設された千歳橋、旭橋、函嶺洞門は、自動車交通に対応した我が国初期の道路施設として、そして歴史的にも重要な土木遺産として、1990(平成2)年はかながわの橋100選に選定されました。2005(平成17)年には、旭橋と千歳橋、函嶺洞門が「箱根地区国道一号施設群」として土木学会選奨土木遺産に選定。2015(平成27)年は「国道一号箱根湯本道路施設」として旭橋、千歳橋および函嶺洞門が重要文化財に指定されました。
観光地として多くの観光客が往来する箱根の安全を守り続けて90年、旭橋、千歳橋、函嶺洞門の堂々とした佇まいは、周囲の景観に溶け込んでいます。
ちなみに、自動車から歩行者を守るガードレールも、箱根が最初だそうです。
フォレストアドベンチャー・箱根にご来場の際、お手洗いが少なく混雑する事が多いので、来場の前に函嶺洞門前の駐車場にあるお手洗いに行かれるのもオススメです。
文・写真とも「あらゆる歴史物語をカタチにする」軽野造船所
(フォレストアドベンチャー・箱根スタッフ