2024.11.26
旅人の常夜灯 甘酒茶屋【コラム vol.15】
フォレストアドベンチャー・箱根
「箱根の山は天下の険」。
まだ旅が徒歩によるものだった時代、箱根八里を越えることは、東海道の中でも丸一日かけての難所でした。ちなみに箱根八里とは、標高約10mの小田原城から標高846mまで箱根峠を登り、標高約25mの三嶋大社まで下る8里(約32km)の事です。
その中でも、湯本から箱根関所間の東坂は当時の石畳などの風情が残る道ですが、険しく幾つもの急な坂があり、畑宿を過ぎると車でもその急坂に驚く七曲り、東海道で一番の難所であった樫木坂、猿も滑って登れないほどの難所と言われる猿滑(さるすべり)坂、更に追込坂が見えてきて、壁のように聳える二子山を見上げ、足元がおぼつかなくなるほどの険しい山道を歩き続けて疲れ果てた旅人たちを安堵させたのがポツンと見える茅葺き屋根、『甘酒』の旗を掲げる「甘酒茶屋」です。
現在の県道732号線、湯本元箱根線沿いにある甘酒茶屋は江戸時代初期より創業した歴史ある老舗の茶屋で、現在の当主は十三代目と言います。この地域は、宿場間の距離が長いうえに険しい山越えを強いられるため天下の難所と呼ばれ、休憩所としての茶屋がかつては街道沿いには13軒、この地域には4軒の茶屋がありました。
関所の付近にある茶屋は、これから関所を通ろうとする旅人にとっては無事に関所を越えるべく身支度を整える場所であり、関所を通過する事が出来た旅人にとっては、安堵のため息とともに小休止をとる場所でした。
そこで振る舞われていたのが「甘酒」。近年では“飲む点滴”ともいわれ注目されています。
茅葺き屋根の店内は木材を活かした昔ながらの日本家屋の造りになっており、奥の方には囲炉裏もあります。この囲炉裏は飾りではなく、実際に火をつけています。茅葺き屋根を維持するためには、煙で燻して虫が付かないようにする必要があるからです。でもその火が日本家屋特有の暗さの中で赤々と映えます。
現在の建物は2009年に建てられたもので江戸時代から続く建物という訳ではないですが、古い建材を使い江戸時代の建物の雰囲気を再現しているため、入り口横の縁台に座って名物の甘酒をいただいていると何だか江戸時代の旅人になったような気分になってきます。
江戸時代から変わらない名物の甘酒は、米麹と米だけのシンプルな作り、柔らかいご飯を炊いて、麹を入れて杓子で混ぜて、室(むろ)で保温して一昼夜寝かせるだけ、この製法は江戸時代からずっと変わっていないそうです。しかし、毎朝その日の気温や湿度などを考慮しての仕込み方は、当主のみ知る技です。
口当たりもまろやかな優しい甘味で、すっきりとした味わいは疲れた身体に染み入ります。砂糖は使わず、塩を少々加えることで甘味を引き立たせています。ブドウ糖やビタミン、アミノ酸豊富で旅の疲労回復に最適、ノンアルコールなので、ドライブ中の運転手の方や子どもでも安心して飲めます。暑い夏には冷やし甘酒も登場します。今では『甘酒の素』も売っているので、通信販売でもお土産としてもお家でお店の味を楽しむことが出来ます。
甘酒で喉を潤したら、次はお腹を満たしたいものです。これまた江戸時代から変わらぬメニューの力餅です。毎朝3時から仕込みを始め、臼ときねで丁寧に搗いたお餅を、備長炭の炭火で焼き上げた力餅は3種類、ほんのり甘い『うぐいす』と『黒ごまきなこ』、海苔と醤油が香ばしい『いそべ』があります。甘いのから先に食べるか、しょっぱいのが先か迷います。
江戸時代の人も栄養豊富な甘酒と力餅で、道中の疲れを癒していたと思うと感慨深いものがあります。甘酒も力餅も、お米の風味が生きています。
おすすめの甘酒と力餅以外にも、小腹を満たす美味しそうなメニューが並んでいます。
自家製味噌と胡麻をたっぷりとのせた玉こんにゃくの『味噌おでん』や自家製のたれで食べる突き立ての『ところてん』、糖分不使用のサッパリと飲める『冷たい抹茶』や、程よいバランスの酸味と甘味の自家製『シソジュース』もあります。
ペコペコに空いたお腹をガッツリと満たす訳では無いですが、茶屋としてほっと一息入れるその時間を彩ってくれる丁寧な一品ばかりです。
お腹を満たしたら、甘酒茶屋の隣にある休憩所兼資料館を覗いてみましょう。街道歩きに用いられた道具や、箱根を行き交った大名行列のジオラマ、赤穂浪士の一人大高源吾のエピソードが人形によって再現されています。
このエピソードとは、元禄14(1701)年に赤穂浪士の一人大高源吾が、大石内蔵助の命を受けて討ち入りを謀っている吉良上野介の動向を探るために江戸へ急ぐ途中、立ち寄った甘酒茶屋にて、馬子の国蔵に言いがかりをつけられた際、吉良邸討ち入りの前に騒ぎになってはいけないと、腰抜け侍と笑われながらも大人しく詫び証文を書き、その後、赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあり、その中に源吾が居たことを知った国蔵は源吾を笑った事を恥じて、出家してまで源吾を弔ったという話があります。
この話は三島宿であった様ですが、講談や戯曲では甘酒茶屋にて神崎与五郎によると語り継がれています。ちなみに、その時の甘酒茶屋の主は三代目だったそうです。
このエピソードにちなみ、甘酒茶屋では毎年12月14日に与五郎祭りをこっそり(?)とやっています。
開店時間の7時から10時までは甘酒が無料、10時以降も100円引きでの提供や、紙芝居などのお楽しみイベントを実施しているそうです。
観光客向けの店というと、客が少なくなる平日や閑散期は店を閉めてしまう所が有りがちです。しかし、甘酒茶屋は年中無休、毎日7時には店を開けています。これは、茶屋が旅人にとっての常夜灯の役目であるからとの事です。
明治時代になると参勤交代が無くなり、鉄道の開通で東海道を歩く人が少なくなると、周りにあった茶屋はぽつりぽつりと閉めていき、昭和になって自動車の時代になると、新しい国道が開通して人出がますます遠のきました。その時期の当主は外に働きに出てまで店を切り盛りし、それでも一軒だけ残った茶屋を閉めなかったのは、過去に比べて少なくなったものの、それでも険しい旅路を歩く旅人にとって、途中で何かあった時の拠りどころでありたいという気持ちです。
昨今では旅のスタイルが多様化したことで、敢えて東海道を歩いてみようという旅人や、江戸時代から時が止まっているかのような茶屋に魅力を感じる国内外の観光客も多く訪れるスポットであり、箱根観光のドライブがてら立ち寄る人も沢山います。 お店に入りきらないほどのお客様でガヤガヤと賑わう茶屋は、400年もの間、人々の喉と心を潤してきました。ある意味、江戸時代と変わらぬ風景なのかもしれません。
文・写真とも「あらゆる歴史物語をカタチにする」軽野造船所
(フォレストアドベンチャー・箱根スタッフ